Last Destruction―「未来永劫」

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登場メカ紹介


 ついに“進化の刻印”斬馬 昴の身体はドームの中に呑み込まれた。
 朽ちた、昴の身を包んだ光球、その光球が呑み込まれて数秒、白い遺跡としてのドームの表層が僅かに震え始める。
 轟轟轟…、
 ドームを中心とした雪原が、山々が、ドームの胎動に呼応し震え始めていた。あたかもそれは、迫るカタストロフの前触れの如く。
「我々が、世界の終わりの瞬間、その目撃者になるというのか」
 ドームを目前にした雪原。胸を撃たれ倒れた遮那を抱きかかえつつ、藤岡大佐が悔しげに呻く。
「――また、我々の希望を彼ひとりに託すことになってしまった」同じく、そのドームの上空を旋回する飛行要塞の中、時実博士が嘆いた。「許してくれ…弦く ん」

 そのドームより離れた山脈、山々を挟んで、ザンサイバー・ブラッドとガイオーマ・ラストライドの死闘が続いていた。
「お前も感じたか、彼女が、ドームに辿りついた瞬間を」
 ラストライドの肩に乗る柾 優が、勝ち誇った表情で言い放つ。その左胸には、彼自身の身体に食い込んだ黒球ブラック・スフィアが、周囲の光を呑み込むよ うに黒く渦巻いている。
「これですべての準備は整った…もう誰にも彼女の旅立ちを止めることは出来んぞ、弦!」
「ざけるな! ならば、ドームだか何だかから昴を引きずり出すまでよ!」
 弦の駆るザンサイバーBが、上空から手にした大剣クロスカリバーを振り下ろす。その背の翼から専用の巨大破甲刀を抜き、受けるラストライド。
「うおおっ!」
 なお、クロスカリバーを揮うザンサイバーB。そのひと振りが稲妻の尾を引く炎の剣圧と化し、ラストライドの左肘から先を爆断した。
 次元波動を攻撃エネルギーに転化する、それこそがブラック・スフィアを擁する破導獣殺しとしてのザンサイバーBに与えられた能力なのだ。本体から断ち切 られ宙にて爆発するラストライドの左腕。
 だが、その四散した破片が左肘の断傷に渦を巻いて再結集、たちまち元通りの左腕として再構成されてしまう。
「SIDE−Bでも駄目なの!?」
 ザンサイバーBのコクピットに同乗する月島蘭子が呻いた。
 そして、その二機の激突から離れた位置にて、戦況を見守るしかない黒い巨体、魔王骸。そのコクピットには仮面の戦士・黒鬼。そして指導者イオナがいる。
「もはや手出しは出来ぬか」
 仮面の奥で呟く黒鬼。もはや目の前の光景は、本物のブラック・スフィアを孕む機体同士の激突。擬似ブラック・スフィアという紛い物の動力しか持たないこ の機体に割り入る余地はない。
「優…」
 ブラック・スフィアの傀儡にと変わり果てた、自身の息子の名を告げるイオナ。
「ザンサイバーの破壊力ごとき、ガイオーマの創造の力に追いつけるものか」
 告げ、宙に急上昇するラストライド。翼を大きく展開し、ザンサイバーBも追う。
「畜生、待ちやがれ!」
 一直線に軌跡を描き、直上へと急上昇、雲を突き抜けた高空にて反転し再び地表へと急降下する二機。
 その目標点には、“進化の刻印”を内包し今その本体を胎動させているドームがある。
 急減速、そのドームの頂上に立つラストライド。優もラストライドの肩から飛び降り、自らの足でドームの上に立った。
「来いよ、弦。僕らの最後の決着の舞台には、ここが相応しいだろう?」
「上等だ、優ゥゥゥッ!」
 蘭子が制止する間もなく、その優の挑発に怒り、コクピットの中から生身で飛び出す弦。
 優とラストライドが立ちはだかるドームの頂上に着地、その勢いのまま、獣のごとき雄叫びと共に優へと一直線に駆け出す。
 その弦の、真っ直ぐ打ち放たれた拳を、紙一重で軽く躱してみせる優。カウンターで弦の腹に重い一撃を見舞う。
 げふっ、と、弦の口から吐かれる血塊。
「最後に、直に貴様に拳を叩き込んでおきたかった」
「て、手前ェッ…!」
 呻きつつも、何度となく優に挑みかかる弦。だがその度、その弦の拳も蹴りも容易く躱し、逆に容赦なく弦に拳と蹴りの応酬を浴びせる優。
「どうした、弦」弦の顔を拳で殴り飛ばし、哄笑する。「昔とまったく変わらんな、お前はいつも真っ直ぐ突っかかってくるしか能がない。そんな単純な奴をこ うして弄ぶのは容易いんだ」
 倒れ伏した弦に対し、勝ち誇り、宣言する。
「お前は、永遠に僕を越えられない」
「こきやがれ――」
 ボロボロの身で、なお立ち上がろうとする弦。瞬間、左胸に鋭い痛みが走った。立ち上がろうとする脚に力が入らない。
「お前の身体の限界が、ようやく来たか」
「優、手前ェ、最初から…」
 一度、その肉体をザンサイバーに“食われる”ことで、ザンサイバーの“飼主”として再生された弦の身体は、その超人的な戦闘能力と引き換えに生命力自体 は限界が定められている。
 今までザンサイバーに乗り込むことで、ブラック・スフィアから生命力を供給させてなんとか今日まで持ち堪えさせてきた身体だったが、優はその限界まで残 されていた弦の生命を、生身のぶつかり合いで削り取ったのだ。
 止めを刺すとばかり、倒れた弦に歩み寄る優。
「やめて!」
 その間に、割って入る影があった。指導者イオナだ。その後方には、彼女の護衛でもある黒鬼が控えている。
 優の揮う圧倒的な暴力から、身を挺して弦を庇おうとするイオナ。
「やめて、優、これ以上は――」
「邪魔だ」
 黒鬼が盾になる暇もなかった。ガイオーマの創造の能力同様、優の手中に突如生成される拳銃。
 無慈悲に、その銃弾が、自らの母親を貫く。
「柾 優、貴様ァーーーッ!!」
 刹那、怒号を上げ駆け出す黒鬼。刃渡り30センチという大振りなナイフを手に優に斬りかかるも、優の手から高速で払われた掌底が、そのナイフを横から弾 く。
「――オオオオオオオオッ!」
「!」
 一瞬、何事が起きたか理解できなかった。
 黒鬼のナイフを払った、そう思った瞬間、その黒鬼の影から雄叫びと共に突如自分の額に激しく打ち付けられる衝撃。
 倒れていたはずの弦が、その場にて瞬発、頭突きで優に完全なる不意打ちを食らわせたのだ。
「弦、貴様!」
 額を押さえ、唸る優。その優の意志に反応し、振り上げられたラストライドの拳が生身の弦を目掛けて振り下ろされる。
 巨大な拳がその場に打ち付けられた瞬間、素早く弦とイオナの身体を抱きかかえ、その場を離れている黒鬼。
「魔王骸!」
 黒鬼のボイスコールを受け、ドームの陰から現れる魔王骸。腕に仕込まれたエネルギー砲が優に向けて撃ち放たれる。
「煩い蝿を集めすぎたか」
 その魔王骸の攻撃を躱しつつ、悔いの混じったひと言を漏らし、跳躍する優。
 ラストライドの掌に乗ると、初めて、そのラストライドのコクピットへと移った。
「もう旅立ちは止められんぞ」
 優の哄笑を残し、上昇していくラストライド。宇宙から、ドームより打ち上げられる、昴の変化させられた“胎芽”の旅立ちを見届けようというのだ。
「これでお別れだ、弦。お前が不様に死に行く様を、見届けられなかったことだけが心残りだがな」
「優ゥゥゥゥゥーーーッ!!」
 飛び立っていくラストライドへと、絶叫する弦。

 重傷を負ったイオナを連れ、一同は胎動するドームから、距離を置いた雪原に退避していた。
 だが、その雪原も、ドームの胎動に呼応するように断続的に震える様を見せている。
 遅れて到着した飛行要塞と残像部隊が、先ほどから機動兵器を用いてドームの外郭に穴を穿つことを試みているが、ドームの強固な外郭はその必死の抵抗を受 け付ける様子を見せない。
 現状、ドームが弾け、胎芽が飛び出すまでの僅かな時間、もはや人間の手には何も打つ手がないのだ。
 そして雪原、弦の前に、イオナと共にシーツ上に横たわり応急処置を受け倒れている…西皇の銃弾に倒れ、今まさに命の火が尽きかけようとしている遮那の姿 があった。
「叶司令補――」
 遮那の傍らに跪き、絶句して、彼女の手を握り締める弦。
「… 君がザンサイバーに喰われたあの日、私は、君を殺そうとした」虫の息で、最後に、自らの手を取る弦に告げる遮那。「…私の兄を喰ったザンサイバーを許せな かった。だからあの時、君と一緒にザンサイバーを発見したクレパスの底で、ザンサイバーに乗るために選ばれた君を撃とうとしたの」
 無言で、遮那の言葉に耳を傾けている弦。
「…その時、君を突き飛ばし、身代わりに私に撃たれたのが柾 優だった」
 思い返す弦。あの時、何者かに突き落とされ、クレパスの底に落ちた自分は、まさに周囲の望んだ通りにザンサイバーに喰われ、“飼主”となった。
 あの時、自分の死ぬ運命から救おうとしてくれたのが優だったというのは皮肉な話でしかない。
「…結局、誰よりも、君たち二人をこんな運命に導いてしまったのは…私、なのかもね…言葉もないけど…ごめん、なさい」
「―― 俺を殺そうとしたとしても」その遮那の独白に、彼女の身体を抱きしめる弦「俺を、ザンサイバーに変えられた俺を、斬馬 弦にしてくれたのはあんただ! こ んな、死にぞこないの俺を、人間でいさせてくれたのはあんただ! 俺を、ここまで――昴を救えるところまで連れてきてくれたのはあんたなんだ!」
 絶叫する。その遮那の手から、もう、力が抜けていく。
「あんたに言い足りねえことがまだ山ほどあるんだ! だから死ぬな!」
 その弦の慟哭を、黙って見つめるしかない藤岡、黒鬼、時実博士。そして蘭子。
 瞬間、
「――ごめんね、兄貴」
「昴…?」
 弦の耳に、確かに聞こえる妹の声。
 ふと見上げると、つい今ほどまで厚い灰色の雲に覆われた空も、自分たちのいた凍てついた雪原も、すべての世界が様相を変えていた。
 淡く、真白い、暖かいとも冷たいともとれない空間。今まで自分の周囲にいた蘭子たちも、自分がその手を取っていた遮那の姿も消えている。
 振り返るとそこに、自分と同じ空間に立つ、もうひとりの姿があった。まごうことなき自身の妹、昴である。
「最後だから、私の意識だけで兄貴に語りかけているの」悲痛な表情で告げる昴。「もう、運命は変えられない。ドームに呑み込まれた私の身体は既に“胎芽” に変えられてしまった。私は、このままもうすぐ、宇宙へ飛ばされる…」
「そんなことはさせねえ」
 兄の言葉に、首を横に振る昴。
「兄貴の身体も、もう…。そして兄貴がいなくなって、ザンサイバーは、ブラック・スフィアの敷いたプロセスのままにこの星を滅ぼすわ…」
 それは弦が一番理解している。たかが身長30メートルの機動兵器といえど、関東平野を消滅させてしまった火力といいザンサイバーに秘められた戦闘能力な ら、この星ひとつぐらい滅ぼせてしまえる。
「兄 貴の身体が、限られた命にされてしまったのは、私のせい」目を伏せる。「“進化の刻印”を、生身の私を守るために、ザンサイバーの“飼主”には超人として の力が与えられる。だけどそれは、私がここにたどり着き、ブラック・スフィアのプロセスが遂行されるときにはもう必要のないものなのよ」
 辛い、独白。
「あ とはもう…ザンサイバー自体のプログラムがこの星を勝手に滅ぼして、ザンサイバーの中のブラック・スフィアも宇宙に旅立って、それで終わり」涙を流す昴。 「ごめんね…ひどいよね…。兄貴だけじゃない、叶さんの、多くの人の人生まで、私が食い物にしちゃったんだ…。ずっと、ずっと、何度も、何度も」
 は、となる弦。
「時実のおっさんが言ってた」昴の言葉に応じる。「かつて、やっぱり俺は、俺たちは別の世界で、まったく同じ戦いを繰り返していたって。じゃあそれは…」
 頷く昴。
「ブラック・スフィアの中の、閉じられた時間の記録が、私の記憶に流れ込んできてる」告白。「繰り返されてる…同じ20年間が。ブラック・スフィアがこの 星にたどり着いてからのこの閉じられた時間が」
 20年前、ブラック・スフィアは宇宙からこの日本アルプスに流れ落ちた。そしてもたらされた未知のテクノロジーから、人は人工生命体である“進化の刻 印”を生み出し、そしてブラック・スフィア自体を動力源として孕むザンサイバーを造り上げた。
 すべては、この星の文明を育み、その文明のすべての情報を得たブラック・スフィアが、この星を滅ぼし宇宙へ旅立つために。
「私や兄貴が、ずっと時間を堂々巡りしていたのは、兄貴が前の私の、そのずっと前の私の、旅立ちを邪魔したから」
「俺が…」
「指 導者イオナが、もうひとつのブラック・スフィアを地球に持ち込み、このプロセスに綻びをもたらそうとした。でもそれだけじゃ不充分だった。結局いつもプロ セスは止められなかった。私は、いつも最終的には、ドームに引きずり込まれ宇宙へ撃ち放たれた。兄貴は…どんな世界でも、命がけで、私が宇宙に旅立つのを 止めてくれてたのよ」
 昴の言葉を確信する弦。そうだ。いつだって、昴が願えば、自分は何者を犠牲にしてでもそうしているはずだ。
「私が…宇宙になんて行きたくない、ずっと、この星にいたいって、いつも、どんな世界でも願ってしまったから――」
 昴の記憶に蘇る光景。
 地球から撃ち放たれ、宇宙へ連れて行かれる自分の前に、いつも立ち塞がっている、ザンサイバーの青い巨体。
「だ からブラック・スフィアは旅立ちを邪魔されるたび、時間を20年間巻き戻していた」悔恨の涙を流す昴。「ブラック・スフィア自体が地球に辿り着く、その日 から世界をやり直すことを繰り返していたのよ。――私が、未来を閉ざしてしまってたんだ! こんな、こんな、誰も幸せになれない世界を、何度も何度も繰り 返してしまってたんだ!」
 慟哭する。

「――それでも、俺は」泣いてる妹の頭を、撫でる弦。「お前を、幸せにしてやりたい。そう願ったんだ」
「……」
 兄の言葉に、無言で耳を傾ける昴。
「きっと今まで、どんな世界の俺も、お前の望みを叶えてやろうとしたんだ…。だけど、昴」昴の頭から手を離し、真正面から向き合う。「今度だけは、俺も望 みをひとつだけ、叶えさせてもらっていいか?」
「兄貴…?」
「救っ てやらなきゃいけない人がいるんだ」微笑み、告げる。「彼女もずっと、たぶん、俺たちのせいで人生を狂わされ続けてきたんだ。いつもキッツいツラして、肩 筋張って、家族を亡くしたことに胸の奥でひとりで泣いてた。俺は、お前だけじゃない、彼女もブラック・スフィアの因果から救いたい」
「それって…」
 その彼女が何者なのかを悟る昴に、弦が頷く。
「もう――世界の巻き戻しは、させない。未来は決して閉ざさない」
「……」
 無言で、頷く昴。
「だけど、だからと言ってお前を犠牲にしたりなんか絶対しない。お前を救って、俺の願いを叶えるためのことをやる」
 は、とした表情になる昴。
「俺も、宇宙へ行くぞ」
「――兄貴!」
「お 前が旅立って、また何千年、何万年かかってまた新しい星の礎になっちまう前に――俺が、ブラック・スフィアの輪廻を断ち斬る」昴の制止を遮り、決然と告げ る。「ブラック・スフィアを孕んだザンサイバーなら、宇宙を巡るブラック・スフィアの軌跡を追って、その根源にだって行けるはずだ。そのブラック・スフィ アの根源を、俺の手でぶっ潰す」
 弦の決意に、言葉もない昴。
 それは、弦もまた、人間であることを捨てる――ザンサイバーそのものになるという決意表明なのだ。
「この星ばかりじゃねえ、この宇宙そのものをブラック・スフィアの輪廻から解放する――」
「だけど、それはそれこそ何千年、何万年、何十万年何百万年かかるか判らない、永劫の旅なのよ…人の意思が、そんな永遠のひとりぼっちに、耐えられるわ け…ない」
 制止の言葉を、振り絞る。
「永い、永い孤独の中で、兄貴が…ずっと兄貴でいられるか、判らない」
 判っている。
「永い、永い時間の中で、兄貴がザンサイバーと溶け合って…自我も消えて…最悪、兄貴はブラック・スフィアを追いかけ宇宙を巡るというだけの“現象”に なってしまうかもしれない」
 それでも、弦は、自分の兄は、
「俺は――消えない」
 決して――あきらめない。
「約束だ、昴。たとえ何千万年だろうとかかろうが、絶対にお前を、この星に連れ戻してやる。いつだって、どこに行ったって、お前が幸せになるまで、俺がお 前を守ってやる」
 笑顔を見せる弦。いつだって、昴の前に見せていた、剽軽者だけど家族思いの兄貴の顔として。
「お前のため…ばかりじゃない。この俺自身の、願いのためだ」
「……」
 昴、無言で、兄の手を取った。
 昴の表情にもまた、いつも手を焼かせる兄を見守ってきた、柔らかな笑みがあった。
「兄貴、私ね、まだ兄貴と出会う前の幼い頃の記憶がなかった」家族同士の、他愛ない思い出話そのままに語りかける。「自分が誰なのか判らない、それが怖く て、兄貴と一緒に暮らし始めたころはいつもびくびく怯えてた」
 昴の話に、黙って頷く弦。
「ブ ラック・スフィアに記憶をこじ開けられて思い出した。私、生まれてからずっと“十字の檻(クロスケイジ)”にいたんだ。――それでね、ずっと、まだ作って る最中のザンサイバーと一緒にいた」悪戯っぽくはにかむ。「そして…ザンサイバーと、ひとつ約束したことがあったんだ」
「なんだそれ」
「内緒。――またいつか、この星に一緒に戻れたら、その時教えてあげるよ」
「ああ、もういっちょ、約束だ」
 互いの手を、もう一度、強く握り合う兄妹。
「…先に、宇宙で待ってるぜ」
 最後に、微笑み、頷く昴。

 刹那、弦の視界が突如、灰色の空と白い雪原に戻った。昴との意思のリンクが、今この瞬間途切れたのだ。
「――弦くん!」
 ずっと、自分の肩を揺らしている蘭子の手に気付く。どうやら昴と意識が繋がっている間、しばらく呆然としていたようだ。
 そして、自分の手中には、抱きかかえられ目を閉じている遮那の身体がある。
「…時実のおっさんよ」遮那の身体を抱きしめたまま、傍らに立つ時実に話しかける。「あんたは…俺が願ったから、別の世界からここに現れたと言った。も し、俺が願えば、叶司令補は――遮那はもう一度、目を覚ますのか?」
「私は…かつて君に、未来を見守ることを託された。そして黒鬼殿は、君が生きていてほしいと願ったからこそ生き延びた」
 弦の問いに、真摯に応じる時実。
「ザンサイバーにずっと乗っていた君が、もし、その力のひとかけらを握っているとすれば…ブラック・スフィアの、因果を操る力を持っているとすれば、ある いは君が強く願えば…」
「――ありがとうよ」
 礼を言い、遮那の身体を、再びシーツの上に横たえた。
 最後にもう一度だけ、眠る遮那の顔をじっと見て、そして、決然と立ち上がる。
 見上げる先には、ザンサイバーBの屹立する真紅の巨体がある。
「月島よぉ」振り返りもせず、後ろの蘭子に言う。「お前には、謝りきれねえほど謝んなきゃならねえ。たぶん俺も、昴も、お前やお前の姉妹たちの人生を滅茶 苦茶にしたひとりなんだ。だけどよ…俺、このまま、行くわ。だから、済まねえ」
「――じゃあ、責任取りなさいよ!」
 弦の背中に、涙声で叫ぶ。
「ホント酷い男! 私をさんざ振り回して、私の姉妹たちも、君を守って、そして――。だから、無責任にどっか行ったりせず、私に対して責任取りなさい よ!」
「…男だったら、一度は女に言わせたい台詞だよな。これで思い残すことはねえや」
 振り返り、笑った。
 そこにあるのは、どこにでもいる、18歳の少年の屈託のない笑顔だった。

 ザンサイバーBは、宇宙へと飛翔した。

 宇宙空間。地球を見つめ、悠然と腕を組み、昴の旅立ちを待ち構えるガイオーマ・ラストライドの姿がある。
 そして地球から、昴の変化させられた種子の打ち上げに先んじて、一直線に紅い光があった。
 ザンサイバーBだ。ラストライドと対峙するザンサイバーB。
「また、彼女の旅立ちを邪魔するつもりか、弦?」
 また、と告げる優。優もまた、この繰り返された、閉じた時間の輪という現象を心得ていたのだ。
「違うな。手前ェをぶちのめしに来た――ガイオーマ!」
 優の名でなく、ガイオーマの名を告げる弦。
「う すうすおかしいたあ思ってたんだ。あれだけ意志の強い優が、たかだか“宇宙のでっかい意思”ごときにホイホイ尻尾を振るなんてよ。優は、俺のマブダチは、 そんなチャチな男じゃなかったんだよ」コクピットの中、視界スクリーンに映るラストライドを睨む弦。「ようやく判ったぜ。お前は、優じゃねえんだ。そう だ、お前は…」
「柾 優の意志など、とうに僕に“喰われている”」優が――優の顔をした何者かが口元で笑みを浮かべ、言う。「我が名は骸逢魔。ブラックスフィアの叡智を 孕み、従う者――」
 もはや、そのラストライドのコクピットに座るのは、弦の知る柾 優本人ではなくなっていた。ただ柾 優の記憶を引き継いだだけの、ブラック・スフィアを 孕んだ、指導者イオナの星の破導獣であるガイオーマそのものの意志に、その身を奪われていたのだ。
「そしてお前もだ、弦――いや、ザンサイバー」
 優の――ガイオーマの言わんとしていることは理解できた。
「お前も斬馬 弦の記憶、人格を元に、奴の肉体を持って行動していたに過ぎない」
 弦もまた、自分同様、少年の肉体を乗っ取った破導獣の意志に過ぎないのだと。
「本来の斬馬 弦が持ち得なかった…破導獣としての破壊衝動がその証拠だ」
「俺は、最初にザンサイバーに喰われかけた時、逆に噛み付いてやったんだぜ!」余裕を持って、その衝撃的でもある言及に返す弦。「――“俺がお前を喰って やる”ってな!」
 あの時、初めてザンサイバーの顎に捕らわれたとき、自分はザンサイバーに“喰われた”のではない、“自分がザンサイバーを喰ったのだ”。
 もはやそんな言葉に、弦の意思は揺るぎはしない。
「ならば――この星のちっぽけで下らぬ生き物として死ね!」
 挨拶代わりに、掌から衝撃波を放つラストライド。躱し、手のクロスカリバーを揮うザンサイバーB。
 激突!
 幾度となく斬りかかり、その度にラストライドの装甲に焼けるような斬痕を刻んでいくザンサイバーB。
  同じブラック・スフィアを孕む機体同士として、そのブラック・スフィアの超動力を攻撃力のみに転化させたザンサイバーBのほうが一見優勢に見える。だが、 どんなに傷口を刻まれようがたちどころに高速で再生を果たしてしまうラストライドの創造の力は、もはやザンサイバーBの攻撃スピードをも上回る勢いなの だ。
「どうした、ザンサイバー!」
 撃ち放たれた衝撃波が、ザンサイバーBの左肩の装甲を砕く。SIDE−Bへと変化し、ブラック・ス フィアの恩恵を攻撃力に特化させてしまっている分、この機体そのものを駆動させるのはウルティメイトイオンとアクセラレイトプラズマの2種のエンジン。言 わば地球製の動力なのだ。この動力から、破導獣絶対の盾である二次元絶対シールドは展開できない。
「まだまだァッ!」
 なお、ラストライドに再接近を仕掛ける。容赦なく連射される衝撃波が、腕の、脚の、ザンサイバーBの真紅の装甲を打ち砕いていく。
 一度ザンサイバーからザンサイバーBへと変化すると、焼き散らせ、再結晶された装甲は急激に劣化する。再び元のザンサイバーの状態に再構成することは出 来ない。
 最後の切り札としての絶大な攻撃力と引き換えに、無数の制限とリスクを負う、それがSIDE−Bの絶対なる弱点なのだ。
 しかし、全身の装甲が砕かれることも厭わず、ついに真正面からラストライドに組み付くザンサイバーB。指をラストライドのコクピット付近の装甲に突き立 て、中の、優の身体が見える亀裂を作る。
「何のつもりだ!」
 宇宙空間に生身の肉体を晒すこととなる優。しかし、ブラック・スフィアを内包しただけでなく全身の多くを機械化されているその肉体にとって、生身で宇宙 空間に晒されるなどもはや問題ではない。
「土産だ、受け取りなッ!」
 弦が言うと共に、ザンサイバー胸部獣面の顎が開く。そこから、
「優ーーーッ!」
 叫びと共に、眼下の亀裂…優の身へと飛び込む、一緒にザンサイバーBに乗ってきた、優本人に撃たれたはずの指導者イオナ。
 さすがに驚嘆する優の身体を押さえつける。女の身と思いつつ、永い、永い年月をブラック・スフィアを追うのに費やしてきた彼女の身体もまた、多くの部分 が機械化されているのだ。胸に銃創を残したままの、その細い身体から出る思わぬ力を振りほどけない優。
 そしてイオナの手が、優の左胸のブラック・スフィアに触れようとする。
「やめろ――!」
「私も、弦くんと同じく、“進化の刻印”を守る者だった――」
 目前で苦悶する息子を前に、悲しげに吐露する。
「ガイオーマを駆り、命の限界に近付いた私は、自らの身体に機械を埋めることで生き延びた。だけど…種子が放たれた後のガイオーマの暴走を止められず…み すみす私は、ガイオーマが故郷を滅ぼすのを見ているしかなかった…」
 イオナの掌から放たれた波動が、実体を伴わない影のようでもある、ブラック・スフィアを掴む。
「―― もう、こんな輪廻も、因果も、止めようと決意した。その輪廻への綻びとするべく…私は自分の持てる力を持って、ブラック・スフィアがガイオーマの殻を破る ことを押さえ込み、私の星から放たれた種子を追った」掌を引くイオナ。優の左胸のブラック・スフィアが、ズルズルと引きずり出され始める。
「そして、辿りついた…この星へ。“ひとつの星に、ブラック・スフィアはひとつしか有り得ない”、その理を破る“二つ目のブラック・スフィア”を携え て…」
 告げ、後悔に、キッ、と奥歯を鳴らす。
「そして私は知ってしまった。この星で、私が持ち込んでしまった因果が、何度も、何度も繰り返されていたことに…」
 地球に辿りついた、“この世界”の世界線にて、指導者イオナは黒鬼そして時実博士と出会うこととなる。そして、自分が持ち込んでしまった因果が、弦と 優、ふたりの少年の悲劇を生み出してしまったことを知ったのだ。
「私は、あなたもこの因果から解き放ってやりたかった」
 悲しげに、慈しみを持って、息子に告げる。
「私 は…人工授精であなたを生み、これまでの繰り返しの運命になかった、私があなたの母親になることで…“ありえない因果”を作ることで、ずっと繰り返されて きたあなたの運命を変えてあげたかった…」目を伏せる。「でも…そんな些細な願いも叶えられず、私はまた運命に抗えなかった…」
「お喋りが過ぎたな、母さん」
 いつの間にか、自身の身体を押さえていたイオナの手が緩んだのを見逃さず、逆に片手でイオナの喉笛を締め上げる優。
「!」
 さすがに、ブラック・スフィアを引きずり出そうとした手を離してしまうイオナ。そのイオナの腹を、優の、もう片方の手から繰り出された手刀が無残に刺し 貫く。
 瀕死のイオナの喉笛を掴み上げたまま亀裂から身を乗り出し、母親の身体を虚空に曝け出す優。
「弦、お前と同じ、ブラック・スフィアに歯向かった愚か者の末路だ。よく見ておけ」
「優、手前ェッ!」
 イオナに手を伸ばすザンサイバーB。が、それより早くラストライドの巨大な脚から繰り出された蹴りが、ザンサイバーBを自体から引き剥がす。
「やめろッ――!」その戦場に割り込み、ラストライドに急接近する黒い翼の影。「自分の母親を手にかけるつもりか、柾 優!」
 魔王骸だ。当然、その操縦桿を握っているのは黒鬼。彼にしては珍しく、激昂した様子で優に向かって叫ぶ。
 その黒鬼を嘲るかのように、イオナの身体を放り出す優。
 驚き、急制動をかける魔王骸。その魔王骸に、ラストライドの掌から連射された衝撃波の弾丸が次々と撃ち込まれる――!
「黒鬼ィーーーッ!」
「斬馬 弦、この機体を使えッ!」
 四肢を潰され、各部の装甲を砕かれ、一瞬で残骸と化す魔王骸。それでも黒鬼、最後に弦に告げると、簡易宇宙服でもある戦闘服姿のまま自らも虚空へと飛び 出した。優に投げ捨てられた、指導者イオナの身体を追って――。
「手前ェはもう許さねぇッ!」
 言うが早いか、ザンサイバーの左の手刀を魔王骸の残骸に打ち込む弦。その左手が魔王骸の内部のパーツを引きずり出し、そして右手にクロスカリバーを持ち ラストライドに突撃を仕掛ける。
「何をするつもりだ!?」
 危機を察し、コクピットの亀裂から表へと飛び出す優。そのラストライドの腹に、魔王骸のパーツを掴んだままのザンサイバーBの左拳が突き込まれた。
 腹に穿たれた大穴から拳を引き出し、そして更に、その大穴にクロスカリバーを抉り込ませる。
「馬鹿め、その程度の大穴、すぐに塞いで――」
 言いつつ、そのクロスカリバーが抉っている腹の傷の異変に気付く優。その傷口が赤熱し、内部から炎と稲妻を噴き出している。
「まさか、先に腹に突っ込んだのは――!?」
 魔王骸の動力となっていた擬似ブラック・スフィアだ。そして、クロスカリバーを介して放たれるザンサイバーBの能力は、次元波動の破壊エネルギーへの転 化…!
 自機を砕く破壊力の噴出と共に、爆断されるラストライドの上半身と下半身。

 虚空に飛ばされたイオナの身体を、追いついた黒鬼がようやく掴んだ。彼女の身体を、後ろからそっと抱きしめる。
 だが…二人が飛ばされた方向には、青く、巨大な地球があった。
 もう間もなく、星の重力圏に捕らわれれば、生身の二人に脱出する術はない。
「――あなたが私の前に現れて、私は、自分の過ちを知ることが出来た」
 背後の黒鬼に、感謝の言葉を告げる。
「その過ちを、もう繰り返さまいと必死に足掻いたつもりだったけれど…それはすべて、無駄だったのかしら」
「あなたの戦いに、無駄などない」静かな声で、諭す黒鬼。「必死で、運命と戦おうとするあなただからこそ、俺はあなたを守り続けた。そのあなたの意思は、 きっと、斬馬 弦が引き継いでくれる」
「ありがとう――」目を閉じるイオナ。「せめて、あなただけでも、生きて帰してあげられれば…」
「あなたと共に死ねる。これ以上の名誉はない」
 イオナを抱きしめる手に、ほんの少しだけ、力を込めた。
 二人の体を引き寄せる重力が、少しずつ強まっていく。
 二人の頭上を、青い、大きな星が輝いている。

「や、やったなザンサイバー!」
 ラストライドの肩上で唸る優。
  その創造の能力で直ちに破断された上半身と下半身の接合、修復を試みるものの、擬似ブラック・スフィアの爆芯点からまだなお放たれる次元波動が高熱とプラ ズマの破壊エネルギー化し、破断された傷口から次々と本体を蝕むよう誘爆を起こしている。これでは自慢の修復も追いつかない。
「だが、たとえ半身だけと言えど、もはや装甲もないザンサイバーなど!」
 破壊の進行が止まらないラストライドの上半身だけで、もはや全身の装甲が砕かれているザンサイバーBを叩こうとする。
 その優の視線の先、もう操縦者のいない魔王骸の残骸を前に掲げるザンサイバーB。
「この上何を――」
 優が呻いた刹那、ザンサイバーが両の拳と拳を激突させる。発動するメサイア・エクステンションと二種のエンジンの爆発力が魔王骸の残骸を粉々に散らし た。
 その、火の粉となった破片が、ザンサイバーのボディにまとわりつき、再結晶していく。今度は蒼く、鋭く――、
「その忌々しい姿――!」
 絶句する。
 そこには、優もその姿を見慣れた、蒼い、そして獰猛なる巨体、破導獣ザンサイバーの姿があった。
「オオオオオオオオッ!!」
 コクピットの中の弦の絶叫に呼応し、ザンサイバーの胸部獣面が、音もない宇宙を確かに轟かせるように咆哮する。
 ザンサイバーの背のブースターが吼えた。一気にラストライドの上半身へと詰め寄り、肩のホルダーから可変棍ヴァリアブル・ロッドを抜く。瞬時に巨大なる 戦刃へと変化。
「ザンサイバァァァッ!!」
 吼える優。ラストライドも巨大破甲刀を抜く。ザンサイバーの戦刃を受け止める巨大刀。
「お前の母ちゃんが教えてくれたぜぇッ! この狂った輪廻をぶっ壊す方法をよ!」
 瞬時、左脚を振り上げるザンサイバー。その膝から伸びた長方形のブロック、重力破砕兵器であるグラインド・バンカーが唸りを上げ、ラストライドの破甲刀 を持った手首を叩き千切る。
「くッ!」
  緊急修復を試みるも、素早く、その右手首の傷口に、ザンサイバーの左拳の鍵爪が打ち込まれた。鍵爪――パイルドスマッシャーから放たれた大電圧が、修復を 許さずラストライドの右下腕を爆砕。そしてザンサイバーの手の戦刃が揮われ、次々とラストライドの装甲を斬り裂いていく。
「おのれ、ザンサイバー!」
「ブラック・スフィアを――ブラック・スフィアを持ってぶち壊す!」
「な…」
 弦の宣言に、呻く優。
 ザンサイバーの額のセーフティ・シャッターが開いた。額のレンズ部分に溜まるエネルギー、主砲エヴァパレート・インフェルノが撃ち放たれる。
 その放たれた爆流の一撃が、ラストライドの左の肩口から先を一撃で蒸発させる。
「馬鹿な! ブラック・スフィアの個体数は無限にして絶対! たとえ、無限大数の中のひとつが欠けても…ブラック・スフィアが宇宙に描いた輪廻は破壊され る」
 なお、ラストライドへの破壊の手を緩めず、その顔面を引っつかんだザンサイバーに対し叫びを上げる優。
「だからこそ絶対、何者にも砕けないはずのブラック・スフィアを、お前は…」
 ザンサイバーの手中にて、破砕され弾けるラストライドの頭部。
「宇宙すべてを破滅に導くつもりか――ザンサイバー!」
 優、絶叫。もはやラストライドの機体を捨て、身ひとつでザンサイバーへ跳ぶ。
「コクピットに討ち入り、弦、直接殺してやる」
 唸った刹那、突如、その身体が金縛りにあったが如く身動きできなくなる優。
「な…?」
 自身の身体の不調をいぶかむ。背中から、自身を縛る、質量を持った何かがしがみ付いてるがの感覚。
 自由に動く首で、振り向く。驚愕する。
「お前は…」
 実際に、優の身体にしがみ付いてる物体など何もない。だが、振り返った優の視線の先には…自分自身を捕らえる、自分自身の顔があった。
 ガイオーマが喰った、“柾 優”の顔が――。
 ガッ、
 その、宙に浮く、身動きままならない身体に、胸部獣面の巨大な顎が噛み付いた。
 胸から下を顎に喰われ、その一瞬の衝撃で、口腔内にて粉々にされる下半身。その突き出る獰猛な牙が、優の左胸のブラック・スフィアに喰い込んでいる。
「これでこの星は…ブラック・スフィアの弧が描いてきた宇宙の摂理の歪みになるぞ」ザンサイバーの口腔に喰われ、全身をほぼ砕かれ、息も絶え絶えに告げる 優。「ブラック・スフィアの絶対数と、それを巡る星々の数は絶対値…「歪みを矯正しようとする力は働くぞ…」
 愚か者を見る目つきで、ザンサイバーの、鋼鉄の顔を見上げる。
「単純な数あわせだ…これで、ブラック・スフィアの現在数はマイナス1となる…そしてこの星も――」
「そうはさせない」
 その、断末魔の言葉を遮る。
「なら、その摂理とやらも喰らい尽くし、ぶち壊す。ブラック・スフィアの行き着く先に、殴り込む」
「何処まで馬鹿だ…それは事象の地平の果てより遠く、それこそ無限大数の光、時間、因果の遙か果てだ」
 ザンサイバーに噛み砕かれんとする、優の顔を見つめる弦。最後に、その苦悶と、怒りを込められた表情のすぐ横に――穏やかに微笑んだ親友の顔が一瞬だけ 見え、消えた。
「優…」
 獣面の顎が閉じた。
 牙が、黒球を喰らった。

 宇宙から俯瞰する、青い地球。
 その地表の一点が一瞬瞬いたのが、宇宙からも見て取れる。
 弦にはそれが何なのか理解できた。それを裏付けるように、地上から、宇宙へ向かって飛び出していく流星。
 昴の旅立ちの時なのだ。
「……」
 言葉もない弦。
 ブラック・スフィアに刻まれたプロセスが正常なら、この後、ザンサイバーは弦の意志そのものを喰らい尽くし、地球を破壊し尽くす。だがそのプロセスの実 行のためには、ブラック・スフィアが、その個体数も併せて“すべて、正常な状態”になければならない。
 この宇宙を、その輪廻で統制してきたブラック・スフィアのひとつが、永遠に失われたという異常事態――それは刻まれたプロセスを正常実行させるのに至ら なくなってしまっている。
 流星が宇宙へと上がる、その直線上にザンサイバーの巨体がある。これまで、幾度も、幾度も繰り返した最後の瞬間と同様に。
 流星が直前まで迫って――僅かに、ほんの僅かに、自機の位置をずらすザンサイバー。
 そのザンサイバーのすぐ脇を、流星がすり抜けていく。
 それはこれまで有り得なかった出来事。
 時が巻き戻されることもなく、新たに刻まれる因果。
 流星、遙か果て、宇宙の奥へ。
「昴…いきな。あとで、必ず俺が連れ戻しにいく」
 弦の眼下に拡がる、蒼い星。
 自分も、妹も、この星に生まれ、育まれてきたのだ。
「そして、いつか、この星に帰ってこような。ふたりで」
 うん――待ってあげないよ。早く来ないと。
 遙か後方を遠ざかっていく流星から、そう、声が聞こえた気がした。
 最後に、自らの故郷を見つめ、改めて宇宙の果てへと振り向くザンサイバー。その、胸部獣面を中心に、機体が球状の、エネルギーの波動へと包まれていく。
 そのエネルギー球が周囲の光をも喰らっていき、プラズマの電光を散らしつつ黒く、黒く染まっていく。
「だから、この星を――頼む」
 光に包まれる、ザンサイバーのコクピットの中。
 目を閉じている弦の身体もまた、淡い燐光に包まれている。
 その身体の端々が、光の粒となって、空間に散っていく。
 ――未来を、閉ざさないでくれ…遮那。

 地球の軌道上から、もうひとつ、光を呑み込むような黒い流星が解き放たれた。



 日本アルプスは、崩壊に直面していた。
 種子の打ち上げ――直径1キロに渡るドームの破裂、その溜め込んでいた膨大なエネルギーの爆発は、そのまま周囲の山脈を吹き飛ばし、爆心地を中心に巨大地震と共に大地を崩壊させている。
 爆心地から、まだなお遙か上空へと伸びている、種子の打ち上げの際に生じた光の柱。
 その光柱が徐々に、徐々にその径を拡げていき、砕かれ、光に呑み込まれていく白い大地。放射状に周囲の山々もその轟震に亀裂を生じさせ、その形を崩され ていく。
 その大カタストロフの中、爆心地から離れた雪原に墜落してしまっているICONS飛行要塞。その機体から離れ、徒歩にて必死に爆心地から逃れようとして いる残存兵たちの群れ。
 その中に、目を閉じている遮那を背負った藤岡、そして蘭子に肩を借り、不自由な片足を引きずる時実博士の姿があった。
「片脚の不自由な身にはきついな」
 ひとりごちに呻く時実。しかし、その眼鏡の奥の瞳に、この場で死ぬかもしれないという諦観はない。
「必ず…帰るからな」
 視線の向こう、遙か先に、決意を告げる。
「…弦」
 決死の逃避行の中、藤岡の背の、遮那の漏らした声に、気付く者はいなかった。



 日本アルプスから天空へと伸びる光の柱は、徐々に、近隣地域からその目撃できる範囲を拡げていた。
 そんな地域の中に、時実が長年身を寄せていた飲み屋街の中の店もあった。
 ここからはまだ細く見える光の柱を、呆然と見上げる街の人々。その中に、時実をトキさんと呼び慕っていた、派手に着飾った女の姿も見て取れた。
「お母さん」
 その女の元に、まだ幼い少女が駆け寄ってきた。
 不安げに、自らの小さな手で、母親の手をぎゅっと握る。
「…お父さん帰ってくるかな?」
「大丈夫よ」
 娘に向かい、微笑む母親。
「…あの人は、とても大事な願いを背負ってる人だもの。無茶はしないから」
 その小さな手を、軽く、だけど強く、力をこめて握り返した。











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